悩むことは誰にでもある
あなたは、生活がうまくいっていない時、例えば家族と喧嘩したり、仕事でミスをした時に落ち込むことはあるだろうか。
または、日々の生活においてふと「このままでいいのか、何かしなくては」と思い立つが、何から手をつけてよいのかわからない、ということはあるだろうか。
それはどちらもきわめて自然なことだ。
なぜなら、人間は本能的に「悩む」ことができ、現代社会では特に「悩みの種」はつきないからだ。
「悩む」ことは人間の本能
例えば、目の前に深い穴がある場面をイメージしてほしい。
あなたは「この穴に落ちたら痛そうだ」と考え、落ちないように回り道をするだろう。
または、もし以前穴に落ちた経験があれば、心と体が「痛いのは嫌だ」と訴えるだろう。
このように「何かあったらどうしよう」と考えるのは人間が生き残るための本能であり、簡単に変えられるものではない。
人間の心と体の作りは原始時代から殆ど変わっておらず、完全に制御するのは難しいという主張は良く見かけるし、正しいと考える。
現代社会では「悩みの種」はつきない
原始時代と現代とをくらべて、人間の心と体は変わらないままでも、情報量は大きく異なっている。
一説によると、人類の扱う情報量は指数関数的に増加しており、例えば江戸時代と現代では1日あたりの情報量に2万倍以上の差があるそうだ。
また、情報の内容も問題だ。
現代社会では「不安をあおる情報」が多すぎる。
「FACTFULNESS」でも言及されているが、人は恐怖本能に関わる情報は関心のあるなしに関わらず取り込んでしまう。(注1)
とりわけ、「ケガや病気」「拘束や監禁」「毒」に関する情報だ。
情報を発信する側はこのことをよく心得ているから、多くの人に見てもらうために、例えば新型コロナウィルスの感染情報を毎日にように報道する。
さらに、「単純化された情報」も多い。
これはシンプルでわかりやすく、支持を得やすい反面、実態とズレていたりすることも多い。
悩みにどのように対処するか
それでは、私たちは悩みにどう対処したらよいのだろうか。
対処法はいくつか提案できる。
まず、「悩みすぎない」ようにすること。
不安は将来に対するものなので、極力「今ここ」に集中する。
とはいえ不安を感じる本能を抑え込むことは難しいが、その不安に対し「反応しすぎない(ただ傍観する)」ようにすれば、少なくとも悩み続けることはない。
これを手法として確立したのがマインドフルネス瞑想であり、心を鎮め、コントロールするのに効果的だ。
次に、「悩みの種を減らす」こと。
不安をあおるニュースを見るのを控えたり、ニュースを見るにしてもできるだけ中庸・フラットな視点を心掛けることが重要だ。
また、特定の人物が悩みの種なら、物理的に距離を置くのもいいだろう。
もしその相手が身近な人で物理的な距離を取るのが難しい場合でも、細かいテクニックは複数ある。
例えば一緒に座る時はさりげなく距離を保つ、心の中でフィルタをかけるなどだ。
向き合うべき悩みにどう対処するか
気づいたかもしれないが、今提案した対処法は「余計な不安に振り回されない」ためのものだ。
これはこれで、ノイズを減らすためには重要である。
ただ、もう一方で考えておきたいのは「向き合うべき悩みにどう対処するか」ではないだろうか。
例えば仕事でミスをして叱られたとき、落ち込んで悩むのは自然なことだ。
ここで「どうしてミスしてしまったのか」と思い悩みすぎる必要はない。一度瞑想でもして心を鎮めるべきだ。
また、叱られた際の相手の「感情」まで受け取める必要ない。「事実」のみを捉えるべきだ。
(伝えたい事実が「次からは気を付けてね」だけだとしても、相手の体調や機嫌が悪いと数倍の怒りと迫力で感情が上乗せされる。これを真正面から受け止めてはキリがない)
そして、「次にミスしないようにどうすればよいか」と前向きに考えた方が、自分にとっても社会にとっても良いだろう。
つまり「悩み」を「前進」に。マイナスをプラスに変えてしまうのだ。
このとき、どの方向に進めば「前進」するのか?
次はその点について説明していく。
「何のために生きるのか」考えてみる
「何のために生きるのか」
これはあなたも一度は考えたことがあると思う。
もちろんあなたの人生はあなた自身のものだから、これを考えられるのはあなたしかいない。
考えるきっかけは、就職・結婚など人生の節目であったり、本やスピーチに感動した時など様々かと思う。
そしてできれば、自分なりに考えた「何のために生きるのか」を書き留めてておくことをおすすめする。
それは落ち込んだ時の一筋の光になり、あなたが前に進む力になる可能性があるからだ。
明日が人生最後の日だとしたら何をするか
もしあなたが「何のために生きるのか」いまいち見えていない場合、いくつかの考え方を紹介する。
まずかなり有名な手法だが、「明日が人生最後の日だとしたら何をするか」を想像するのが一つのやり方だ。
ただしこのやり方だと「豪勢な食事をとりたい」「気のすむまで寝ていたい」などやや人間の根本的な欲求で、自分中心で、短いスパンの生きがいになることがある。
もちろん、まずは自身の衣食住を確保することは重要だ。
「自分の幸せ」の範囲を広げてみる
しかし、もう少し広く・長い生きがいを考えてみたい場合の方法を紹介する。
まずは自分の周囲に目を向けてみることだ。
例えばあなたがお金をたくさんもって衣食住は十分満たされているが、自分の家族が不幸な状態である状況を想像してみよう。
そのときあなたが「幸せとは言えない」と感じたなら、「家族を幸せにすることが、自分の幸せでもある」と生きがいの範囲を広げてもいいかもしれない。
さらに考えを進めるなら、例えば「あなたと家族は十分満たされているが、職場の仲間や恩師が不幸な状態を想像」するなど少しづつ範囲を広げてみる。
どこまで考えてみるかはあなたにお任せする。
ただ、一つ覚えておいて損はないと思われることがある。
それは、人間は「他者に貢献」することで自身が幸せに感じるようにできていることだ。
例えば、ある調査においては幸福度が高い仕事の上位に「聖職者」「療法士」「消防員」など「他者に貢献」する仕事がランクインしている。
また、アドラー心理学では生きがいの在り方として、「他者貢献」こそが一筋の光であるとも言及している。
生きがいの範囲を広げて他者の幸せを目指すのは、自分にとっても良いことだと言えそうだ。
「自分の幸せ」の期間を長く取る
次に、生きがいの範囲をもう少し長い期間で考えてみよう。
そのために、一つたとえ話を用意した。
さて、あなたの考えを読み取って、望んだ快楽がずっと続く、夢のような世界が存在するとしよう。
あなたはこの世界に行ってみたいだろうか?
もちろん!と喜び進むあなたに声がかかる。「ちょっと待って!ただし、元の世界には戻れない。二度とあなたの家族と会うことはできない」
それでもあなたはこの世界に行くだろうか?
それが嫌と感じた場合、あなたは「自分の衣食住を、今考えられる範囲で満たすこと」以外に生きがいを感じられるのかもしれない。
人間は日々成長しており、何を幸せと感じるかも変わってくる。
例えば若いころに「結婚は絶対にありえない」と考えた人が、お見合い結婚して子どもを授かったとき「私はこの家族のために生きる」と考えるを変えるなどだ。
そうであれば、生きがいもできるだけ未来に、先にめがけて大まかに考えておいたほうが良さそうだ。
まとめと具体的なサンプル
今までの内容を簡単に振り返ってみる。
- 悩むことは本能であり、悩みの種はつきない
- 悩みに振りまわれないためには、考えすぎない・距離を取ること
- 悩みに向きあうには、「何のために生きるのか」を考えておくこと
最後のポイントについて補足しておく。
例えば「何のために生きるか」の期間が長ければ、「調子が良いときも悪いときもあるさ」と焦らなくなるかもしれない。
「何のために生きるか」の範囲が広ければ、「自分一人の悩みは小さいこと」といじけなくなるかもしれない。
また、一時的な衝突はあれ、社会貢献が生きがいなのであれば、周囲全てに感謝と敬意を持ち、上から目線にならないかもしれない。
そして「何をしたらいいかわからない」状態になりづらく、生きがいに向けて少しづつタスクを進め、遠慮せず、恐れず進めるかもしれない。
具体的なサンプル
最後に、私自身のサンプルを紹介させていただく。
私は生きがいの範囲を「自分⇒家族⇒社会」と広げ、いつでも見れるよう次の標語にした。
「私は心身の健康を保ち、良き父親として家族を愛し、良き社会人として会社と社会に貢献する」
そして、この生きがいに沿って、数年後・数十年後のタスクを大まかに設定した。
具体的には、「60歳時点で健康を維持し、子育てもひと段落し、定年までの勤務を終え新たな社会貢献を見つける」ビジョンにめがけて、例えば健康なら1日数分の有酸素運動と筋トレを習慣化するなどだ。
終わりに
余計な悩みに振り回されず、取り組むべき課題に集中しよう。
そのときできるだけ先に、広く生きがいをとらえていれば、日々やることも見えてくるはずだ。
自分の人生を精一杯生きるとは、そういうことだと私は考える。
参考書籍
注1)ハンス・ロスリング「FACTFULNESS」,日経BP社,2020年6月,134ページ
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